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人生・生き方にまつわる名言

ニーチェ

しっかりと自己の上に腰をすえ、雄々しく自分の両脚で立たなければならぬ。

出典・参考・引用
世界文学大系42「ニーチェ」(この人を見よ-いかにしてひとは自己自身となるか)p382
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この人を見よ

私の著作からは、比類のない心理学者が語っているということは、おそらく良い読者が到達する最初の洞察であろう。
私にふさわしい読者、昔の言語学者がホラチウスを読んだように私を読んでくれる読者である。
結局のところみんなが一致しているさまざまな命題は、通俗哲学者、道学者、その他の空っぽ頭、キャベツ頭どもはいわずもがな、私にはおめでたい見損ないだと思われる。
たとえば、自我というものからしてひとつの「高等詐欺」、ひとつの「理想」にすぎないのに、「没我的」と「利己的」とが対立だなどというあの信仰である。
利己的行動もなければ、没我的行動もない。
両方の概念とも心理学上の背理だ。
あるいは「人間は幸福を追いもとめる」といった命題、あるいはまた「快と不快は対立である」といった命題、道徳という人類の妖魔(キルケ)が、あらゆる心理学的事象を根っから欺瞞してきた、道徳化してきた。
そのあげく、愛とは「何か没我的」なものであらねばならぬといったあのぞっとする荒唐無稽に到達した。
しっかりと自己の上に腰をすえ、雄々しく自分の両脚で立たなければならぬ。
さもなければ、人を愛するなんてできることではない。
この点は結局女のほうがずっとよく知っている。
彼女らは、およそ没我的な、単なる客観と化したような男などは、物の数にいれていない。
ところで私は自分が女を知っていると推量してもいいのだろうか?
これは私のディオニュソス的賜物なのだ。
誰が知ろう?
ひょっとすると、私は永遠の女性の最初の心理学者かもしれない。

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