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ニーチェ

現代人は結局、怖ろしくたくさんの消化しきれない知識の石をひきずり廻っている。
なんらの教養の決意もそこからは生じない。
というのは、われわれ現代人は自分からのものをなに一つ持っていないからである。

出典・参考・引用
世界文学大系42「ニーチェ」(生に対する歴史の利害について - 第二反時代的考察)p324-325
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ニーチェ

現代人は結局、怖ろしくたくさんの消化しきれない知識の石をひきずり廻っている。
でこの石ころは、童話にもあるように、折にふれて体内でしたたかかち合う。
このかち合うということによって、現代人のもっとも固有な特性がお里をあらわす。
すなわち、どんな外部も対応することのない内部、またどんな内面も対応することのない外面の著しい対立であって、古代の諸民族のあずかり知らぬ対立である。
飢えもしていないのに過剰に摂取され、それどころか欲求に反してまで取り入れられる知識は、もはや、外部に駆り立てる改造的契機として作用せず、ある混沌とした内面の世界に隠れたままになっている。
この内面世界を、現代人はおかしな誇りをもって、現代人特有の「内面性」と呼んでいるわけである。
内容はあるが、形式だけが欠けているのだと、言う人があるかもしれないが、すべて生き物において、これはまったくありうべからざる対立である。
このような対立なしにはそれが全然理解せられえないからこそ、われわれの現代の教養は生きたものではないのである。
ということは、全然真の教養ではなくて、ただ一種の教養についての思想、教養についての感情たるにとどまって、なんら教養の決意はそこから生じない。
(中略)
あまり遠くない過去のあの有名な民族、すなわちギリシア人のことを私は言うのだが、この小民族は、その最大の力を発揮した時期において、非歴史的感覚を強靭に保持していた。
当世風の人間がもし魔法によってあの世界へ帰らねばならないとしたら、おそらくギリシア人を「たいへん無教養だ」と思うことだろう。
もちろんそこで、ひたかくしにかくしていた現代教養の秘密が、このことで暴露され、みんなの大笑いを買うことだろう。
というのは、われわれ現代人は自分からのものをなに一つ持っていないからである。
ただ他の時代、他の風習、他の芸術、哲学、宗教、学問で自分たちをいっぱいにし、詰めこみすぎていることによってのみ、われわれはいくぶん注目に値するもの、すなわち「歩行する百科全書」になっているにすぎない。
われわれの時代に迷いこんだ古代ギリシア人は、たぶんそう言ってわれわれに呼びかけるであろう。

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