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ニーチェ

過ぎ去ったものと現在のものとは同一である、すなわち、その様相は多様であるが、典型としては相等しく、移ろわぬ典型の現前として、不変の価値と永遠に変わらぬ意味とを持った不易の形象である。

出典・参考・引用
世界文学大系42「ニーチェ」(生に対する歴史の利害について - 第二反時代的考察)
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ニーチェ

このような歴史的人間は、人生の意義はその過程の経過のうちにいよいよますます明るみに出てくるものと信じており、従来の過程を観察して現代を理解し、未来をいっそうはげしく欲求することを学ぶために、ただそれだけのために背後をふりかえって見るのである。
彼らは、そのあらゆる歴史探求にもかかわらず、いかに自分たちが非歴史的に思索し行為しているかを、まったく知らない。
そして彼らの歴史探求もまた純粋な認識に奉仕するものではなくて、生に奉仕するものであることを、まったく関知していないのである。
(中略)
しかしこの問いには違った解答もありうる。
なるほどここでもまた「嫌だよ!」と答えられる、しかし別の理由からだ。
過程のうちに救済を見ることなく、むしろ世界はおのおのの個々の瞬間において完結し、その終局に達しているとなす超歴史的人間の「否!」をもってである。
過去の十年が救ええなかったものを、どうして新しい十年が教ええようか!
ところでその教えの意味が、幸福にあるのか諦めにあるのか、徳であるのか贖罪であるのか、そういう点では、超歴史的な人たちが一致したためしはなかったが、過ぎ去ったものの歴史的考察のあらゆる仕方に対しては、彼らは次のような命題で完全に一致している。
曰く、過ぎ去ったものと現在のものとは同一である、すなわち、その様相は多様であるが、典型としては相等しく、移ろわぬ典型の現前として、不変の価値と永遠に変わらぬ意味とを持った不易の形象である、と。
※問いとは「最近の十年、二十年をもう一度くり返して生きてみる気があるかどうか?」である。
※答えは誰しも「否」だが、その真意は千差万別であるという。
※前記の歴史的人間が「否」とするのは前の十年よりもこれからの十年は少しはましだろうという自らへの慰めからであり、非歴史的人間のそれとは大きく異なる。

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