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ニーチェ
しかし、人間がわれながらおかしいと思うことがある。
それは人間というものが忘却を習得できず、四六時中、過去に引っかかっていることだ。
ついに死があこがれの忘却をもたらすとしても、それは同時に現在ならびに生存をもまきあげてゆくのである。
- 出典・参考・引用
- 世界文学大系42「ニーチェ」(生に対する歴史の利害について - 第二反時代的考察)p311-312
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ニーチェ
しかし、人間がわれながらおかしいと思うことがある。
それは人間というものが忘却を習得できず、四六時中、過去に引っかかっていることだ。
どれだけ先へ走ってみても、どれだけ早く走ってみても、鎖も一緒にくっついて走ってくる。
これはたしかに不思議だ。
忽然としてあらわれ、忽然として去る瞬間、寸刻前には無であり、寸刻後も無である瞬間が、幽霊のようにふたたびやって来て、のちの瞬間の平静をかきみだすということは。
たえず時の巻物から一葉また一葉と離れ、落ち来り、ひるがえり去る、かと思うと、とつぜん舞いもどってきて、人間の胸にくいいる。
そのとき、人間は言うのだ、「僕は想い出す」と。
そして、たちまちにして忘れることのできる動物、時々刻々が本当に死滅して霧と夜の中に沈み行き、永遠に消え去るさまを見ている動物をうらやむのだ。
このように動物は非歴史的に生きている。
なぜなら、動物は現在で割りきれ、変な余剰のかけらなんか残らない数のようなものだからだ。
それは自分をいつわることを知らない、なに一つ隠さない、どの瞬間にも徹頭徹尾自分のありのままの姿であらわれる、だからどうにも正直以外の行き方ができないのだ。
ところが人間は過ぎ去ったものという大きい荷物、いよいよ大きくなってゆく荷に抵抗して突っ張る、だから重荷のために押しつぶされたり、傍へへしまげられたりする。
それが眼に見えない暗い負担となって、人間の歩みを困難なものにもする。
(中略)
子供を見たりすると、人間はまるで失われた楽園を回想するかのような切ない気持ちにとらわれるのだ。
だって、子供はまだなんら否認すべき過去を持たず、過去と未来の垣の中に、幸福きわまる盲目のなかで遊び戯れているからである。
しかしこの遊戯にも邪魔がはいってこないわけにはいかない。
あまりにも早く子供はその忘却状態から、呼びさまされるのだ。
そこで子供は「昔は」というあの合言葉、闘争や苦悩や倦怠やがこの合言葉もろとも人間に押し寄せてきて、人間存在が根本において何であるかを否でも応でも想い出させようというのだ。
すなわち人間存在がけっして完了することのない一の半過去形であるということを。
ついに死があこがれの忘却をもたらすとしても、それは同時に現在ならびに生存をもまきあげてゆくのである。
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