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ニーチェ
一切の深淵の中にさえ、我は我が祝福する肯定を選ぶ。
- 出典・参考・引用
- 世界文学大系42「ニーチェ」(この人を見よ-いかにしてひとは自己自身となるか)p398
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この人を見よ
あらゆる偉大な魂の持つ精神力と慈愛をひとところにかり集めてみるがいい。
全部をあわせても、ツァラトゥストラの説教一つ生みだすことができないであろう。
かれが昇り降りする梯子は巨大である。
かれはいかなる人間にもまさって広大に見、広大に欲し、広大な能力を示した。
かれは一語ごとに矛盾している。
このあらゆる精神の中でもっとも肯定的な精神が。
かれにあってはあらゆる対立が一つの新しい統一にまで結ばれている。
人間本性の最高の力と最低の力、もっとも甘美で、もっとも軽やかで、しかももっとも恐ろしいものが、一つの泉から永遠の確実さをもって流出している。
このときまで人は、高さといい深さというものがいかなるものであるかを知らない。
真理とは何か、にいたってはなおさら知らない。
この真理の啓示の中には、すでに人手にかかっていたような、誰かしら偉人によって察知されていたようなそんな瞬間は一つもない。
ツァラトゥストラ以前には、およそ叡智はなく、魂の探究はなく、説話の術はない。
もっとも身近なもの、もっとも日常的なものがここでは未聞の事柄について語る。
箴言は情熱にふるえる。
弁舌は音楽となっている。
稲妻がこれまでの見通しのきかなかった未来に向かって投げられる。
これまでにもっとも威力のあった比喩の力も、こうした言語の具象的な本然への復帰にくらべては、貧弱であり、児戯にひとしい。
(中略)
ツァラトゥストラは一個の舞踏者だ、ということ、実在の中へもっとも苛酷で、もっともおそろしい洞察を持ちこみ、「もっとも深淵的な思想」を考えた者が、それにもかかわらずどうしてそこに、生存に対し、生存の永遠回帰に対してさえなんらの異論を見出さないのか、いやむしろみずからあらゆる事物に対する永遠の然りとなり、「巨大な無辺際の然りとアーメン」とになるという根拠をも見出しているとはどういうわけか、ということなのだ。
「一切の深淵の中にさえわれはわが祝福する肯定を選ぶ」、これまたディオニュソスの概念である。
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