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その他の偉人の名言

ニーチェ

私は多数の青年たちが同じような危機に見舞われていることを発見した。
あまりに多くの者がいまだその機が熟さないうちに身のふり方をきめ、その後はもはや放りだせなくなった重荷のもとで衰弱してゆく運命にある。
こうした連中は、阿片を求めるようにワーグナーを求める、かれらは我を忘れる、かれらは刹那的に自己から脱却する。
いや、五時間も六時間もだ!

出典・参考・引用
世界文学大系42「ニーチェ」(この人を見よ-いかにしてひとは自己自身となるか)p390
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この人を見よ

当時私に起こった決定的なことは、ワーグナーとの不和といったものではなかった。
私はわが本能の全般的混迷を感じていた。
個々のまずいことは、ワーグナーというものであれ、バーゼル大学教授の職であれ、単にその徴候でしかなかった。
私自身に対して我慢ならぬという気持ちが私をおそっていた。
自分というものを反省する大事な時機だということを、私は見て取った。
一挙にして、怖ろしいまでに明らかになったことは、どれほどの時がすでに浪費されてしまったか、私の使命からすれば、自分の文献学者的存在がいかに無益であり、いかに気紛れなものと見えるか、ということであった。
これまでの誤った謙遜を、私は恥じた。
この身の精神の栄養がまったくとまってしまい、何ひとつ役に立つことを学ばず、垢まみれの博識の古反故にかかりあって、お話にならぬほどたくさんのことを忘れていた十年が経っていた。
古代の韻律学者を丹念に、悪い眼に精出してのろのろと読む、そういう始末に私はなっていた。
すっかり痩せこけ、飢えきった自分の姿を私はあわれみをもって見た。
現実的なものがまさしく私の知識の中に欠けていた。
そして「理想的なもの」が何の役に立つというのか!
ほんとに灼けつくような渇望が私をおそった。
そのときから私が実際勉強したのは生理学、医学、そして自然科学に限られた。
本来の歴史研究にさえも、使命が命令的に強制したときにはじめて戻っていった。
当時私はまた、反本能的に選ばれた活動、いわゆる「職業」といってもすこしも天意によって召されてはいないものと、そして何か麻酔剤的芸術、たとえばワーグナーの芸術のごときによって、寂寥感・飢渇感を麻痺させようとの要求のあいだには関係があること、これをようやく思い知った。
注意して見まわしてみると、私は多数の青年たちが同じような危機に見舞われていることを発見した。
一つの反自然は、確実に第二の反自然を強制する。
ドイツでは、正確に言えば「帝国」では、あまりに多くのものがいまだその機が熟さないうちに身のふり方をきめ、その後はもはや放りだせなくなった重荷のもとで衰弱してゆく運命にある。
こうした連中は、阿片を求めるようにワーグナーを求める、かれらは我を忘れる、かれらは刹那的に自己から脱却する。
いや、五時間も六時間もだ!

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