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ニーチェ

本を“調べる”ことばかりしている学者は、ついには自分からものを考える能力をまったく失ってしまう。
調べない時には、考えないのだ。
こうした学者は、すでに考えられたものを肯定したり否定したり、つまりその批評に全力をそそぐ。

出典・参考・引用
世界文学大系42「ニーチェ」(この人を見よ-いかにしてひとは自己自身となるか)p375
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この人を見よ

いろいろと多くのものを見ず、聞かず、わが身に近づけないこと、これが第一の利口さであって、人が偶然でなく、一個の必然であることの第一の証拠である。
この自衛本能をあらわす普通の言葉が、嗜好である。
然りと答えれば「自己喪失」となる場合に、この本能の命令は否と言えというだけではなく、できるだけ少なく否をいうことをも命ずる。
始終くり返して否を言わされるようなものとは別れ、絶交することだ。
(中略)
もう一つの利口さと自己防衛は、できるかぎり稀にしか反応しないこと、自分の「自由」、自分の主導権をいわば取りはずして、たんなる化学反応の試薬とならざるをえないような事態や条件からおよそ身を引くことにある。
私は比喩として書物との交わりをあげよう。
結局のところ本を「調べる」ことばかりしている学者(普通程度の文献学者で日に約二百冊)は、ついには自分からものを考える能力をまったく失ってしまう。
調べない時には、考えないのだ。
かれが考えるときには、一つの刺激に(その読んだ思想に)応答しているわけで、結局ただもう反応するだけということになる。
こうした学者は、すでに考えられたものを肯定したり否定したり、つまりその批評に全力をそそぐ。
かれ自身はもはや考えない。
自衛本能がかれには衰弱しているのだ。
さもなければかれは書物に対して抵抗するだろう。
学者は、一個のデカダンだ。
私がこの目で見たことだが、天分のある、豊かで自由な素質をもった人物が、すでに三十代で「読み呆けて」しまい、火花、「思想」を発するには、こすってもらわなければならないただのマッチにすぎなくなっている。
早朝、一日がはじまり、自分の力も新鮮そのもののときに、いわばその曙光の中で、本を読む、これを私は罪悪と呼ぶ。

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