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ニーチェ

敵に対する平等、これこそ公明正大な決闘の第一前提である。

出典・参考・引用
世界文学大系42「ニーチェ」(この人を見よ-いかにしてひとは自己自身となるか)p366
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この人を見よ

敵に対する平等、これこそ公明正大な決闘の第一前提である。
相手を軽蔑すれば、戦いはできない。
命令できたり、何か見くだしているような場合には、戦うまでもない。
私の兵法は四原則に要約される。
一、私は勝ち誇っている事柄のみ攻撃を加える。事情によっては、それが勝ち誇るまで待つ。
二、私は、自分に味方がないような、ひとりぼっちになるような、自分が単独で危険にさらされるようなそういう場合にのみ、攻撃する。
私は、危険をまねかないような行動を、公けには、一度も起こしたことがない。
これが正しい行動というものに対する私の試金石だ。
三、私はけっして個人を攻撃しない。私は個人というものをたんに強度の拡大鏡のように利用するだけで、それによって、潜在的な、いかにも捉えにくい一般的な危機を明らかにするのに使うのである。
こうして私はダーヴィト・シュトラウスを攻撃した。
正確にいえば、一冊の老いぼれた書物が、ドイツの「教養」のもとで収めた成功を攻撃した。
私はこの教養を現行犯でつかまえてみせたのだ。
こうして私はワーグナーを攻撃した。
正確にいえば、すれっからしの人間と豊かな人間、末期の人間と偉大な人間を混同しているわが「文化」の虚偽、本能的悪質を攻撃した。
四、私は、あらゆる個人的な手心の加わらない、なんら因縁つきの背景などのない事柄のみを、攻撃する。
その反対に、攻撃は、私の場合、好意のしるし、時によっては、感謝のしるしである。
私は、自分の名前を、ある事柄、ある人物の名と結びつけることによって、これに敬意を示し、これを表彰するのである。
味方になるのも敵にまわすのも、私にとっては同じである。
キリスト教に戦いを挑んでも、この方面からなんら被害や抑圧を受けたことがないからこそ、私にその資格があるのだ。
もっとも真面目なキリスト者たちが、私にはいつも好意をよせてくれた。
私自身は、キリスト教の峻烈な敵であるが、数千年の宿命であるものを、ある個人の責任に帰するというようなことはまったくない。

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