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ヒルティ
人間の唯一の所有たる、人の意志こそ高貴なれ。
- 出典・参考・引用
- カ-ル・ヒルティ著、平田元吉訳「幸福」64-66/190
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幸福
此の高尚なる純粋に平等的な見解の弱点は先づ第一に次のことである。
此の見解を承知するには既に理智と意力との或る高き程度が必要である。
況んや平生之を実行するに於いては尚ほ一層之が必要である。
而してこの力は人々が常に自己の中に之を産せなければならぬ。
今日吾人は言う、機械が働くには多くの摩擦があるから、之が用は半ば失われてしまう、と。
ストアの事業は不断の難業であって容易に人世に対する絶望に人を至らしむるものである。
然るにストアは此の絶望を毫も不正のこととして居ない。
「出口が開いてある」。
吾人は荷物が重過ぎれば、何時でも之を投棄ててもいい。
此の乱暴な要求は自分独りのみが賢がるストア賢人の自尊に相応して居る。
また此の要求に堪えることの出来ない人、所謂、愚人に対する無限の軽蔑看過、及び之が結果として、人々が頗る有ち易い缺点或いは異見に対する無情、冷淡、憐憫の情なきこと等、また此の要求に相応して居る。
ストア哲学は一種の哲学的兵営である。
此の兵営に於いては人間の卓越した者共が、不断の難澁な義務を実行しつつ養はれ、之が報には増長した階級の意識と他人の統率とを得るのである。
基督教は之に反して全く異なった方法にて同一の結果に至らんと進み行くのである。
該教は学問教育の如何に係らず、人間が斯様な高尚な力を自分から発展するは不可能なこととし、此の力は事実に対する信仰の結果として、其のまま外部から来るものであると約束して居る。
済度は歴史的であって、哲学的でなく、思考の過程でなく、純粋な事実、他の歴史的出来事の如く呼び返すことの出来ない、人の意見から独立した、只だ一度きり到来した純粋の事実に基づくものである。
救済は此の事実の承知であるといっても差し支えない。
乃ち救済は該事実の信仰、欲しがって其の方へ手を延ばせる人間へ与えられる或る物、而して固より凡ての人に一様に、学者にも無学者にも、賢人にも愚人にも、有徳の君子へも野卑な悪人にも、一様に与えられる或る物である。
基督教は人が自分の力から生ずる徳を信ぜざるものである、該教は神の意志に従う生活を尊ぶのであって、斯様な生活は常に自我的に出来て居る人の自然の性質が、(之が上品であろうが野卑であろうが、実際の差別はない)、前以て完全なる変化をすることを要求する。
此の変化に依って、以前は無効の努力であったものが、新しき性質に相応し、自然的で且つ楽になるのである。
ストア哲学及び基督教の見方の結果は、殊に他人に対する態度に於いて最も分明に表はれる。
然し基督教の見方は重に成熟した独特の人生観、及び幼年でなく最も早くて中年で経験した内部の闘争の結果から来たことは否定すべからざることである。
幼き人が、中に居て知らずして成長した基督教的空気は、一方には、異教徒にあるような野卑な弊害から彼を保護し、他方には此に古代の哲学、学問、思想等が入り来たり、絶えざる自己の研磨と意志力と目的する自己教育が始まるのである。
此の意志力は古典的修養のない基督教徒に甚だしく欠如し、基督教をして柔弱な只だ感情的な時として実になさけない光景を呈せしむるものである。
此の光景の為、基督教は断乎たる男らしき自覚的の人より多く非難せらるるのである。
然し此の光景は決して基督教の本来に性質に相当しない。
此の本来の性質は却って凡ての他のものに勝りて男らしきものである筈である。
基督教は人類の優秀の者のみでなくして、其の全体を、動物に類似の状態から、完全なる自由平等の高尚なる生活に高むることを約束することの出来る唯一の教である。
而して此の教えは古代の哲学よりは一層高き程度に一層広き範囲にて此の約束を守ったものである。
両教の共同の点は、此が共に、人間の唯一の真の所有である所の人間の意志に高き価値を付すること、故に他からして善を為すを強いらるることがない。
世界には倫理的秩序があるとの確信を要求すること、而して此の秩序は其の原理の違犯を堪えないで、此の違反を狙える人間の気儘に、全く確実なる克つべからざる抵抗を差し向けるということである。
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