その他の偉人の名言
中山博道
苦徹珠を成す。
人生の道、職業の道、理想への道、あらゆる道は、苦徹を踏んで初めて大道へ達することができるのである。
- 出典・参考・引用
- 吉川英治「われ以外みなわが師」p165
- 関連タグ
- 中山博道
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |
追加ボタンで本項の名言「苦徹珠を成す(中山博道)」が名言リストに追加されます。
詳しくは名言集を作成するを参照してください。
われ以外みなわが師
昭和の剣聖で「最後の武芸者」とも呼ばれる中山博道が語った話の断片とのことである。
中山博道は若き頃、林崎神社という武術を志す人々が多く参拝する神社で居合いの鍛錬を七日七夜行なった。
一昼夜で一万一千回、七昼夜でおよそ七万五、六千回の記録を挙げ、古今未曾有のものであろうと自負し、これも自己の全能全霊はもとより、神の御力もあってのこそと得意に満ちていた。
神前への報告も終わり、意気揚々として自分の記録を額堂に残しておこうと、ふと仰ぐと、そこには徳川時代の幾多の武芸者の挙げた記録が掲げてあった。
過去の道友にも、恐らく自分ほどな精進をしたものはあるまいと、つぶさに見ていくと、一昼夜一万八千刀とか、中には二万を超えている人すらあって、私のもった一万一千刀などという程度の記録は、実に、何十人といっていいほどざらにいるのであった。
ここに至って私は、自分の愚かな自負心と、かりそめにも抱いた高慢らしい気持ちが、遽に恥ずかしくなって、再び、神庭の大地へ下りて頷いてしまった。
このような心で、どうして一派の達人となることが出来よう。
先人の為した修行の跡に対してすら、頭を上げることが出来なかった。
いわんや、神の前に。
人間は誰でも、自分がすこし励んでいると、おれはかくの如くやっていると、すぐ自負してしまう所がある。
それが、何事においても修行の止まりになってしまうのである。
以来私は、いつでも、自分が努力したと自分でゆるす心になる時は、いやまだ自分の先には、自分以上やっている人間が無数にあるぞ、と云う事を自誡として胸に思い出すことにしている。
苦徹珠を成す。
人生の道、職業の道、理想への道、あらゆる道は、苦徹を踏んで初めて大道へ達することができるのである。
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |