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キルケゴール
わたしが自分自身の監督官である。
- 出典・参考・引用
- 世界文学大系「キルケゴール」p155
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おそれとおののき
諦めるのには信仰を必要としない。
しかし、わたしの永遠なる意識より以上のものをどれほど僅かでも得ようとすれば、それには信仰が必要である。
これは逆説だからである。
ひとはしばしばいろいろな運動を混同する。
すべてを断念するためには信仰が必要だ、といわれる。
それどころか、もっと奇妙なことに、ある人が信仰を失ったとなげいている、などという言葉を耳にすることさえある。
ところが、その人がどの段階にいるのかを確かめようとして目盛りを調べてみると、じつに奇妙なことに、諦めの無限の運動をなすべき点までやっと達したというにすぎないことがわかるのである。
諦めによってわたしは一切のものを断念する。
この運動をわたしは自分自身でおこなうのである。
もしわたしが自分の力でそれをしないとすれば、それは、わたしが卑怯で、柔弱で、感激をもたないからであり、人間めいめいにあてがわれている高い尊厳の意義を、つまり、わたしが自分自身の監督官であるという、全ローマ共和国の監督長官よりもはるかに高い身分であることを、感じないからである。
この運動をわたしは自分自身でおこなう。
そしてこれによってわたしが得るものは、わたしの永遠なる意識における、永遠なる存在者に対するわたしの愛との至福なる和合における、わたし自身である。
信仰によってわたしは何ものかを断念するのではない。
反対に、信仰によってわたしは一切を得るのである。
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