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キルケゴール

人々は多くの場合、ただ瞬間的にのみ自己を意識し、重大な決断をするときに自己を意識するばかりであって、日常の生活はまるきり考慮にいれられないのである。

出典・参考・引用
世界文学大系「キルケゴール」p359-360
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死にいたる病

悔い改められない罪は、そのおのおのが新しい罪であり、罪が悔い改められずにいる瞬間瞬間が、新しい罪である。
しかし、自己自身について連続した意識をもっている人間のいかにまれなことであろう!
人々は多くの場合、ただ瞬間的にのみ自己を意識し、重大な決断をするときに自己を意識するばかりであって、日常の生活はまるきり考慮にいれられないのである。
彼等はかろうじて一週間に一度、それも一時間だけ、精神であるだけのことである。
精神であるあり方としてこれがもちろんかなり動物的なものであることは、いうまでもない。
けれども、永遠は本質的な連続性であり、この連続性を人間に要求する、あるいは、人間が自己を精神として意識し、そして信仰をもつべきことを要求する。
ところが、それとは逆に、罪人はまったく罪の支配下にあるので、罪の全体的な規定のことなどまるきり知らず、自分が破滅の邪道をたどっていることに少しも気づかないのである。
彼はただひとつひとつの新しい罪だけしか勘定にいれない、そして彼は、新しい罪を犯すごとに、いわば、一歩一歩と新たに破滅の道を進んでゆくのであって、それに先だつ瞬間において、それに先だつすべての罪に推進されて破滅の道をたどっていたなどとは、少しも考えないのである。
罪は彼にとってきわめて自然なものとなっているのである、あるいは、罪は彼にとって第二の天性となっているのである、それだから彼は日常の生活をまったく不都合のないものと考え、新しい罪を犯して、いわば破滅への一歩を進めるたびごとに、一瞬間だけ、はっと立ち止まるばかりである。
彼は破滅の状態にあって目がくらんでいるので、自分の生活が、信仰において神の前にあることによって永遠なものの本質的な連続性をもつ代わりに、罪の連続性をもっていることが彼の目には見えないのである。

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