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キルケゴール
真に自己となるためには内面に向かって前進しなければならない。
- 出典・参考・引用
- 世界文学大系「キルケゴール」p322
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死にいたる病
しかし、変化がおこらない場合には、彼はまた別の策を講じる。
真に自己となるためには内面に向かって前進しなければならないはずなのに、彼はその内面への方向からすっかりそれてしまうのである。
いっそう深い意味における自己に関する全問題が、彼の心の背景の一種の盲戸となり、その背後には何もないことにしてしまうのである。
彼は彼が自分の言葉で自分の自己と呼んでいるものを、すなわち、彼に与えられているかもしれぬ能力や才能などを受け入れる、けれども彼はそれらすべてを外の方向へ向かって、生活のほうに向かって、それもいわゆる現実の生活、活動的な生活の方向に向かって、受け入れるのである。彼は自分のうちにもちあわせている僅かばかりの反省をきわめて用心深く取り扱う。
そのひとかけらの反省が、背後にあるものが、また顔を出しはしないかと恐れるのである。
そうして彼は徐々にそれを忘れることに成功する。
年月が経つにつれて、そんなものは馬鹿馬鹿しいことにさえ思えてくる、ことに、現実生活に対する理解と能力をもつ他の有能で活動的な人達とりっぱな交わりをしている場合には、そうである。
なんとすばらしいことであろう!
彼はいまや、小説にあるように、すでに何年か幸福な結婚生活を送り、活動的で腕のある男であり、父であり市民であり、おそらく偉大な男でさえもあるだろう。
家にあっては、召使たちから「ご主人様」と呼ばれ、町では名士の一人である、彼の挙動は人格者の声望を集め、あるいは人物としての尊敬を呼び起こす、万目の見るところ、彼はりっぱな人物なのである。
キリスト教界にあっては彼はキリスト者であり(異教徒にあっては異教徒であり、オランダにあったはオランダ人であるのとまったく同じ意味で)、教養のあるキリスト者の一人である。
彼は魂の不滅の問題にしばしば没頭し、一度ならず牧師に向かって、そのような不滅というようなことが本当に存在するのか、人は果たして自己自身を再びそれと見分けるものなのかどうかを、正したこともあるのである。
事実またこれは彼にとってもまったく特別な関心事たらざるをえない問題なのである、なぜかというに、彼は自己をもっていないのだからである。
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