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安岡正篤

理論や形迹は結局人を識る所以ではない。
人物はやはり誠のおおうべからざる流露によって判じなければならぬ。

出典・参考・引用
安岡正篤「東洋宰相学」p81
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安岡正篤

彼の人物行迹は実に道に関する示唆に富む。
善はよい。
しかしながら善いだけに修飾になる。
本質を離れ、あるいは矯飾に走り易い。
必ずしも故意にそういう詐善を行なわずとも、自己自身そういう詐善に知らず識らず陶酔し易い傾向があり、そういう傾向の強い性質の人物が少なくない。
それがたまたま世間の虚誉を博すると、ますます真善と偽善との区別がつかなくなって、それこそ奥底が分からなくなり、忠奸が不明になってしまう。
理論や形迹は結局人を識る所以ではない。
人物はやはり誠の掩うべからざる流露によって判じなければならぬ。
政教もまた人情自然に即して反省せられねばならぬ。
公孫弘の抱懐した理論とその実行した形迹は非難のできない立派なものであった。
非難はかえって彼を貴かしめるにさえ役立った。
しかしながら彼の人物にはどこか無理があり、不自然があり、虚偽があったものと見える。
道義がともすれば偽善に陥って道を傷り、善政が往々人民を窒息させ、中毒させることの危険を真人は深省洞察せねばならぬ。

前漢の政治家で武帝に仕えた公孫弘を評した言葉。
善にして善に非ざるを論じて云う。

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