先頭が「ほ」の四字熟語の意味と読み方
茫然自失
気抜けしてぼんやりすること。
驚いてあっけにとられ、気が抜けたようにぼんやりすること。
あっけにとられたりあきれはてたりして我を忘れてしまうこと。
呆然自失とも書く。
本来、ことの意外さにあきれてぼんやりする様は呆然で、茫然は遠く遥かでとりとめのない様をいう。
呆は幼児をおつむで包んだ姿を示し、転じて、何も知らない幼児と同様にぼんやりしているの意がある。
出典は列子の仲尼篇。
孔子の憂いの至高な様を知った子貢の姿を形容した言葉。
- 類義語
- 茫然自失
- 惘然自失
- 出典・参考・引用
- 「列子」仲尼篇
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |
列士
楽しむ無く知る無きは、是れ真に楽しみ真に知るなり。
故に楽しまざるところ無く、知らざるところ無く、憂えざるところ無く、為さざるところ無し。
詩書禮楽何の棄つることか之あらん。
之を革むる何ぞ為さん、と。
顔回北面拝手して曰く、回亦た之を得たり、と。
出でて子貢に告ぐ。
子貢茫然として自失し、家に帰りて淫思すること七日。
寝ねず食はず、以て骨立するに至る。
顔回重ねて往きて之を喩す。
及ち丘門に反り、絃歌し書を誦すること、終身やめず。
真に楽しみ真に知るとは、楽しみも知るも共に意識の上にも昇らない境地のことである。
さすれば、満足せぬところも、悟らぬところも、憂えぬところも、為さぬところも無い。
従って、詩書禮楽、どれも否定し放棄する必要もない。
ましてや詩書禮楽を革むる必要もあるはずがないのである。
顔回は北面拝謝して立ち去り、子貢にこれを告げた。
すると、子貢は何がなんだかわからなくなって、家に帰ると深く思い悩み、寝ず食わずで酷く痩せてしまった。
顔回はこれを知って幾度となく子貢を訪ね、之を諭した。
やがて、子貢は何か得るところがあったのか、孔子のもとで禮楽を習い書を読んで一生を終わるまでやめることはなかったという。
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |