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とある若手棋士[1]
確かに、我々のやっていることは
一般の人から見れば「お遊び」なのかもしれない。
しかし、そこに社会的意義があるかどうかは、
それに取り組む人間がどれだけ情熱を持って
打ち込んでいるか、ということに尽きると思う。
勝てなくなった、稼げなくなった…
そう言って自ら土俵を降りていってしまう人の
なんと多いことか!
しかし、あの人(加藤一二三)は違う。
あの人は自らが許される限り勝負の場に立ち続ける。
あの人を嗤う者のどれほどが、あの年齢になっても
情熱を持って将棋に打ち込めるというのか。
私には、あの人を嗤うことなどできない。
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とある若手棋士
確かテレビ番組で、ある棋士(山崎隆之か当時若手の棋士だったと思う)が
何故将棋を指すのか、そこに意味(意義)はあるのか、というような趣旨の
質問をぶつけられて、言っていた言葉。
なるほどな、と思った。
将棋に限らず、あらゆる芸事やスポーツにも通ずる言葉だと思う。
一流の人が切磋琢磨し、結果に裏付けられた情熱を感じることで
私達は感動を得ることができる。
昨今、「一流」の人が気軽にバラエティー等に出演してくれ、
私達はその人柄や生活を身近に感じることができるようになったが、
あくまで彼らはその道一流の人なのであって、面白おかしく笑いものに
するというのは、やはり失礼なのではないか、と感じた。
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