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マックス・ピカート[1]
現代人は内面的に連関性をなくしたごたごたの中に生活している。
我々は内的に寸断されてしまっているのである。
我々は連続性の中に生きているのではなく、非連続性の中に生きているのである。
- 出典・参考・引用
- 騒音とアトム化の世界
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マックス・ピカート
私はある時、一人の男がテレビの前に座っているのを見た。
その傍らで同時にラジオが鳴っていた。
しかも同時にこの人は時折テレビから目をはなして新聞を読んだ。
いったいこの人はどこにおるというのだろう。
テレビの中か、新聞・ラジオ、あるいは安楽椅子の中か。
彼はそれらのすべてであり、そして無でもあった。
いたるところにおり、しかもどこにもおらなかった。
そして彼の欲したのは実はこのことであった。
即ちどこにもいないこと、自分自身を解体し、またその破片から自分を組み立てることであった。
昨日の死はなんとつまらなく、今日の復活もまたなんとつまらないことであろう。
この人間は自分自身から脱走しておったのである-というのも当たらない。
彼はそもそも自分というものを持っていないのであって、したがって自分自身から逃げるということもできない。
彼は一般崩壊の中の、運動の一小部分以外の何ものでもないのである。
現代人は内面的に連関性をなくしたごたごたの中に生活している。
我々は内的に寸断されてしまっているのである。
我々は連続性の中に生きているのではなく、非連続性の中に生きているのである。
一つの印象、一つの感情、一つの考えが、隔絶されながら、それぞれ別の印象や、感情や考えの側に平気で並んでいる-否、先立つもが全くなかったかのように、次々と立ち現れるのである。
ただ絶え間なく何ものかが、瞬間を通って転じてゆくだけである。
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