1. MJ >
  2. マックス・ピカート >
  3. 1

投稿名言データベース

このエントリーをはてなブックマークに追加

マックス・ピカート[1]

現代人は内面的に連関性をなくしたごたごたの中に生活している。
我々は内的に寸断されてしまっているのである。
我々は連続性の中に生きているのではなく、非連続性の中に生きているのである。

出典・参考・引用
騒音とアトム化の世界
関連タグ
偉人
社会
名言集の新規作成用(Cookieに保存)
作成済み名言集の編集用(DBに保存)

追加ボタンで本項の名言「現代人の生きている場所(マックス・ピカート)」が名言リストに追加されます。
詳しくは名言集を作成するを参照してください。

マックス・ピカート

私はある時、一人の男がテレビの前に座っているのを見た。
その傍らで同時にラジオが鳴っていた。
しかも同時にこの人は時折テレビから目をはなして新聞を読んだ。
いったいこの人はどこにおるというのだろう。
テレビの中か、新聞・ラジオ、あるいは安楽椅子の中か。
彼はそれらのすべてであり、そして無でもあった。
いたるところにおり、しかもどこにもおらなかった。
そして彼の欲したのは実はこのことであった。
即ちどこにもいないこと、自分自身を解体し、またその破片から自分を組み立てることであった。
昨日の死はなんとつまらなく、今日の復活もまたなんとつまらないことであろう。
この人間は自分自身から脱走しておったのである-というのも当たらない。
彼はそもそも自分というものを持っていないのであって、したがって自分自身から逃げるということもできない。
彼は一般崩壊の中の、運動の一小部分以外の何ものでもないのである。
現代人は内面的に連関性をなくしたごたごたの中に生活している。
我々は内的に寸断されてしまっているのである。
我々は連続性の中に生きているのではなく、非連続性の中に生きているのである。
一つの印象、一つの感情、一つの考えが、隔絶されながら、それぞれ別の印象や、感情や考えの側に平気で並んでいる-否、先立つもが全くなかったかのように、次々と立ち現れるのである。
ただ絶え間なく何ものかが、瞬間を通って転じてゆくだけである。

<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>


Page Top