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先頭が「さ」のことわざ・慣用句の意味と読み方

左袒(さたん)

同意すること。
味方して加勢すること。
袒は片方の肌をあらわす意で、左袒の本来の意味は左側のそでを脱いで左肩をあらわすこと。
出典は史記の呂太后本紀、孝文本紀。
呂氏の専横に辟易した周勃しゅうぼつが、「呂氏につくものは右袒せよ、劉氏につくものは左袒せよ」と兵士達に呼びかけた故事から。
これによって軍中皆な左袒し、権勢をほしいままにした呂氏一族は滅ぶことになる。

古典

  • 諸呂、事を用ひて擅権せんけんし、乱を為さんと欲す。大尉周勃しゅうぼつ軍門に入る、行軍中に令して曰く、呂氏の為にするものは右袒せよ、劉氏の為にするものは左袒せよ、と。軍中皆な左袒して劉氏のためにす。(史記・呂后本紀)
  • 夫れ呂太后の厳を以て、諸呂を立てて三王と為し、擅権せんけん専制す。然れども大尉、一節を以て北軍に入り、一呼して士皆な左袒し、劉氏をたすけ諸呂に叛き、つひに以て之を滅ぼせり。(史記・孝文本紀)
  • 余輩敢て管仲に左袒して擯斥ひんせきするに非ずと雖ども、唯だ此の二大家が時勢を知らず、其の学問を当時の政治に施さんとして、却て世間の嘲を取り、後世に益することなきを悲むのみ。(福沢諭吉・文明論之概略)

辞典

蓋しこの語の原は、斉の王孫賈おうそんこが、

  • 悼歯とうし、斉国を乱し閔王を殺せり。我とともに歯を誅せんと欲する者は右を袒せよ。*1

とあるより出づ。
*簡野道明編「故事成語大辞典」239/1009

出典・参考・引用
「史記」呂太后本紀・孝文本紀
関連タグ
ことわざ
慣用句
出典
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語句解説

周勃(しゅうぼつ)
周勃。漢初の功臣。劉邦を助けて漢建国に尽力。その人柄は素朴で飾らず、劉邦はその死の間際に「劉氏を安んずるは必ずや周勃であろう」と遺したという。
擅権(せんけん)
権力をほしいままにすること。専横。擅は専有する意。
管仲(かんちゅう)
管仲。春秋時代の宰相。斉の桓公に仕えてその隆盛を担った。桓公は管仲を称えて「一にも仲父、二にも仲父」と言ったという。
蘇秦(そしん)
蘇秦。戦国時代の政治家。張儀と共に縦横家の代表。諸国を遊説して強国・秦に対抗する同盟連合を結成し、秦の東方進出を阻んだ。鶏口牛後の故事は有名。
張儀(ちょうぎ)
張儀。戦国時代の政治家。弁舌に優れ、蘇秦と共に縦横家の代表とされる。秦の恵王のもとで宰相となり、連衡策を説いて韓・斉・趙・燕に遊説し、蘇秦の合従策で結ばれていた対秦同盟を消滅させた。
孔子(こうし)
孔子。春秋時代の思想家。儒教の始祖。諸国遊説するも容れられず多数の子弟を教化した。その言行録である論語は有名。
孟子(もうし)
孟子。戦国時代の思想家。孔子の孫である子思に学び、儒学に通ず。各国を遊説して王道政治を唱えた。亜聖と尊称。
擯斥(ひんせき)
排斥。しりぞけること。擯はすてる、しりぞける意。
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  • *1戦国策・斉策。王孫賈は戦国時代の武将。


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