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先頭が「こ」のことわざ・慣用句の意味と読み方

五十にして四十九年の非を知る(ごじゅうにしてしじゅうくねんのひをしる)

常に自らを省みて高めようとする意志のあること。
年を経ても更に成長しようとする様。
年の五十にもなると、自分自身を省みなくなって驕りや妥協が生ずるものだが、そうではなく、それまでの人生にはまだまだ直すべきところがあったと自己を律して己を更に向上させんとすることを含む。
尚、一般的には「それまでの人生を振り返ってみると後悔することばかり多い」や「反省してみれば誤りばかりであった」という意味であるとしている。
ただ、それだけでは言及されている人物の内容とは合わない。
淮南子の原道訓の中に蘧伯玉きょはくぎょくの言葉として登場し、先後のなんたるかを説く中に用いられている。
この言葉の中で先なるは「非とした四十九年」、後なるは「その後の人生」のことであろう。
先は知り難きものなるが故に非を生じたが、この非とした先たる四十九年に由りて後を慎んで歩んだが故に、蘧伯玉は「六十にして六十化す」と称されるにまで至ったのである。

出典・参考・引用
劉安「淮南子」原道訓
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ことわざ
出典
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五十にして四十九年の非を知るに関する出典・逸話・訳・書き下し文

古典関係

五十にして四十九年の非を知るに関する古典の参考

  • 蘧伯玉は年五十にして四十九年の非を知る。何となれば、先なる者は知を為し難く、而して後なる者は攻を為し易ければなり。(劉安:淮南子-原道訓[7-8]
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関連リンク

六十にして六十化す
年を重ねれば重ねただけの人間的成長を有している様。年を経るに連れ…


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