先頭が「こ」のことわざ・慣用句の意味と読み方
恒産無き者は恒心無し
一定した生活できるだけの収入がない者は、心が定まらずに節操がなくなって何をするかわからなくなること。
一定した財産や職業がなければ、人は放辟邪侈に陥ってどのような悪事でも為してしまう。
「恒」は説文の二部に「常なり。心に従がひ舟に従がふ、二の間に上下在り。心は舟を以て施す、恆なり」とあるように、常に通じる。
尚、舟は「通ぜざるを渡す」という意を持つ。
また、上下二線の間の文字は三日月であるともされ、三日月は弓に弦を張ったときの形と同じ。
この場合は上下にピンと張り詰めたことを示し、常にたるまない状態をいう。
孟子の梁惠王上に登場する。
斉の宣王が孟子に王者たる所以を問い、孟子は「王者たるには先ず民を安んずる事です。人は生活が安定せねば心定まらぬが故に何をするかわかりません」と説いた。
- 出典・参考・引用
- 「孟子」梁惠王上
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恒産無き者は恒心無しに関する出典・逸話・訳・書き下し文
古典関係
恒産無き者は恒心無しに関する古典の参考
- 恒なる産の有る者は恒なる心有り、恒なる産の無き者は恒なる心無し。(孟子:孟子-滕文公上[3.1])
- 恒の産無くして恒の心有る者は、惟だ士のみ能く為す。民の若きは則ち恒の産無くして、因って恒の心無し。苟くも恒の心無くば、放辟邪侈、為さざる無きのみ。(孟子:孟子-梁惠王上[7.3])
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