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先頭が「か」のことわざ・慣用句の意味と読み方

鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう)

統治者を軽んじてその地位を覆そうとする野心のあること。
転じて、その人の能力などを疑って地位や評判を奪おうとすること。
現在では、野心や奪うという意を含まずに、単にその人の能力の有無を問うという意味にも用いられる。
楚の荘王が天下統一の野望を抱き、王位の象徴である鼎の大きさと重さを問うことで、その意志を暗に示した故事。
尚、鼎は青銅で作られた三本足の器で、王位の象徴とされた。

出典・参考・引用
左丘明「春秋左氏伝」宣公三年,司馬遷「史記」楚世家
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春秋左氏伝

徳の休明きゅうめいなるや、小なりと雖も必ず重し。
其の姦回かいかん昏乱こんらんなるや、大なりと雖も必ず軽し。
(中略)
周の徳、衰へたりと雖も、天命未だ改まらず。
鼎の軽重、未だ問ふ可からざるなり。
楚王乃ち帰る。

楚の荘王は覇者として天下にその武威が轟いていた。
周の定王は、大夫の王孫満を派遣して、荘王をねぎらった。
その折に鼎の小大軽重を荘王が問うた。
王孫満が答えて曰く、
「徳に在り、鼎に在らず。」
荘王が云う。
「歴世の鼎が周にあるからといって、それを頼みにしてはいけない。楚の国には鋒先の折れ曲がった端くれを集めても、鼎を作ることはできるのだ。」
王孫満曰く、
「ああ、大王は肝心なことをお忘れか。昔、夏の徳が盛んなとき、その威徳から鼎は作られ民を守りました。しかし、桀王が徳を乱したことで鼎は殷に遷り、それから600年を経て、紂王の暴虐によって鼎は周王朝に遷ったのです。徳が大いに明らかなるときは鼎は小なりとも必ず重く、どこに遷すこともできません。徳が邪で昏きときは鼎は大なりとも必ず軽く、どこにでも遷せるのです。いま、周の徳が衰えたとしても、天命は未だ定まってはおりません。鼎の軽重はまだ問うべきではないのです。」
これを聞いていた荘王はやむなく兵を引き上げたという。

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語句解説

休明(きゅうめい)
立派でうるわしいこと。立派で明かなこと。休は美または善を意味する。
姦回(かいかん)
奸邪の意味で心がねじけていること。
昏乱(こんらん)
乱れる。何もわからず乱れること。

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