先頭が「あ」のことわざ・慣用句の意味と読み方
愛多ければ憎しみ至る
過ぎたる愛は憎しみに至る。
愛憎の表裏一体にして愛は憎しみの始まりなるが如く、物事は流転して極に至れば逆の傾向へと変化することをいう。
本質的に考えると、論語にいうところの「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」と同じ。
出典は亢倉子の用道。
- 出典・参考・引用
- 「亢倉子」用道
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |
亢倉子
物
身は親しむ可くして、才は親しむ可からず。
才は敬す可くして、身は
敬甚だしければ則ち親しまれず、親甚だしければ則ち敬せられず。
之れ親にして疎、之れ疎にして親。
恩甚だしければ則ち怨み生じ、愛多ければ則ち憎しみ至る。
速きを以て貴しと為す有り、緩きを以て貴しと為す有り、直きを以て貴しと為す有り、曲がれるを以て貴しと為す有り。
百事の宜は其の
是の故に智者は之を難しとす。
物事の本質は常に似る、是にして非、非に似て是、先に号泣するも後には笑い、吉に始まるも凶に終わる。
人は己自身に親しむべきで、才知芸能には親しむべきではない。
才知芸能は敬すべきで、己自身を無闇に敬してはならない。
これが親なれば疎となし、これが疎なれば親となす。
恩に過ぎれば怨みを生じ、愛に過ぎれば憎しみに至る。
速きを貴ぶことがあれば、緩きを貴ぶこともあり、直きを貴ぶことがあれば、曲がれるを貴ぶこともある。
物事の是非善悪の由るところ、甚だ玄妙にして知らざるべからざるものである。
故に智者はこれを難しとなす。
身は本体および心情を指す意として解した。
内的なものが己自身の体と心。
外的なものは才知芸能。
心体は自ずから備わる、即ち天よりのもの(生であり道である)。
堪敬はおそらく
心体は自然にして最良であるから、堪敬せず。
才知は自ら高めていくものであるから、堪敬して善い方へと導く。
親疎は解し難い。
感覚的にいえば、道徳は内側から広がっていく感じ(自分自身が広がる感じ)。
才知は自分の外側に積み重ねていく感じ(武装する感じ)。
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |
関連リンク
- 過ぎたるは猶及ばざるがごとし
- 過度であることは不足であることと何ら違いはないということ。物事は…