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和歌・道歌・漢詩にある名言

本居宣長

敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花。

出典・参考・引用
新渡戸稲造「武士道」p154-155
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和歌
本居宣長
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本居宣長

マッシュー・アーノルドが定義したように宗教が「情念によってひきだされた道徳」にすぎないものであるとすれば、武士道はまさしく、宗教の列に加えられるべき資格を有する道徳体系に他ならない。
本居宣長は「しきしまのやまと心を人とはば、朝日ににほふ山ざくらばな(肖像自讃)」
と詠んで日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として表した。
たしかに、サクラは私たち日本人が古来からもっとも愛した花である。
そしてわが国民性の象徴であった。
宣長が用いた「朝日ににほふ山ざくらばな」という下の句に特に注目されたい。
大和魂とは、ひ弱な人工栽培植物ではない。
自然に生じた、という意味では野生のものである。
それは日本の風土に固有のものである。
その性質のあるものは偶然、他の国土の花と同じような性質を有しているかもしれない。
だが本質において、これは日本の風土に固有に発生した自然の所産である。
また、私たち日本人のサクラを好む心情は、それがわが国固有の産物である、という理由によるものではない。
サクラの花の美しさには気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。
私たちはヨーロッパ人とバラの花を愛でる心情をわかち合うことはできない。
バラには桜花のもつ純真さが欠けている。
それのみならず、バラは、その甘美さの陰にとげを隠している。
バラの花はいつとはなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。
その生への執着は死を厭い、恐れているようでもある。
しかもこの花はあでやかな色合いや、濃厚な香りがある。
これらはすべて日本の桜にはない特性である。
私たちの日本の花、すなわちサクラは、その美しい粧いの下にとげや毒を隠し持ってはいない。
自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。
その色合いはけっして華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。
草花の色彩や形状は外から見ることしかできない。
それらはその種類の固定した性質である。
しかし草花の芳香には揮発性があり、あたかも生命の呼吸に似てかぐわしい。

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