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徳川家康
一方を聞きて沙汰に及ぶ時は、格別の相違あるものなり。
- 出典・参考・引用
- 清水橘村「家康教訓録」49/99
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徳川家康
ある時、徳川家康が家老達に小僧三ヶ条の話を知っておるかと尋ねた。
家老達に知る者は居らず、そこで徳川家康は次のような説話をした。
「山寺へと出家した小僧が、里へと逃げ帰って親の本へと帰り、これに驚いた親が小僧に理由を尋ねると、三つの迷惑なる事があるという。
第一には師の坊髪を剃るに、未だ剃り習いであるから時々、剃刀の先が入りて血が出てしまい折檻される、第二には朝夕に味噌を摺るに摺りようが悪いとして折檻される、第三には用をたしに雪隠にゆくと左様なことは曲事なりとて折檻されるとのことであった。
親は余りの事だとして寺へと行って不足を申して小僧を返せと述べた。
すると住職は望みとあらば返すが、諸人の聞こえもあらば右三ヶ条の言釈は致すなりと述べて云った。
まず、味噌を摺るに悪しきとは、寺も在家も味噌を摺るにすりこぎにて摺るが、小僧は塗杓子のせなかにて摺る。
朝夕拙僧は世話して申し付けるも治らずして寺の杓子を全て駄目にしてしまった。
次に雪隠に行きて用事をたすを叱るは、その雪隠は例年の代官衆の為に相談して作り置いたものであって、愚僧を始め、誰もこれを用いずして他の雪隠へと行くに、小僧一人はこの雪隠へと行く故に度々申し付けるも聞き入れぬ。
最後に髪剃りの件なれども、出家の勤めとして剃刀をするにこの頃は己の頭を自ら剃るほどに上達し、人の頭をも手際よく剃るが故に、我等の頭も剃らせたところ、わざとこのように致したのじゃ、といって頭巾を外すと何十処と切り傷があった。
小僧の親はこれを見て横手を打ち、大いに驚いて詫びたという。」
小僧三ヶ条の説話を終えた徳川家康は戒めて述べた。
「国持大名を始め、其の下の家老用人物頭奉行目付横目の役など勤むる面々、此の心づかひ肝要なり。一方を聞きて沙汰に及ぶ時は、格別の相違あるものなり」と。
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