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日本の偉人・書籍にある名言

二宮尊徳

世の人、生きて居る時は人にして、死して仏と成ると思ふは違へり。
生きて仏なるが故に、死して仏なるべし。
生きて人にして、死して仏となる理あるべからず。

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二宮尊徳

世の人、生きて居る時は人にして、死して仏と成ると思ふは違へり。
生きて仏なるが故に、死して仏なるべし。
生きて人にして、死して仏となる理あるべからず。
林にある時は松にして伐ちて杉となる木なし。
されば生前仏にて、死して仏と成り、生前神にして、死して神なり。
世に人の死せしを祭りて、神とするあり。
これまた生前神なるが故に神となるなり。
この理、明白にあらずや。
神と云い、仏と云い、名は異なりといへども実は同じ。
国異なるが故に名異なるのみ。

今の人々は生死を別して考えるが、決してそのようなことはない。
人が死して仏となるは、生きているうちより仏なるが故である。
生きている間は人にして、死して初めて仏となるという理のあろうはずがない。
例えば林に松があったとして、伐採したら杉となることがないのと同じことである。
生前より仏であるが故に仏となり、生前より神であるが故に神となる。
世の中には人が死ぬと祭って神と崇めることがあるが、これは生前より神であるから神として祭るのである。
この理、明白ではないだろうか。
神も仏も、名は異なるけれどもその実は同じであって、国が異なるが故に名が異なるだけのことなのだ。

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