日本の偉人・書籍にある名言
熊沢蕃山
志ありといふ人も、隠微の地の実不実は存ぜず候。
さりながら終には故郷に帰るが如く、善に実なる所あらば、道に志ありて、一旦形気の欲にひかるるも、終にはもとに帰るべく候。
志の不実と申すにてはなし、実はあれども明のしばし蔽はるる所ありてなり。
一旦のよきはたのみにならず。
月夜のしばし曇りたると、闇の夜の晴れたるとの如し。
雲ありとも頼むべし、雲なしとも頼むべからず候。
- 出典・参考・引用
- 熊沢蕃山「集義和書」巻第二
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集義和書
手紙にいう。
道に志ある人にも、時として飲食男女の欲に惑うことがあるのは、志が本当でないからではありませんか。
また道に志なくても行儀よき者がおります。
先生はどちらをとられるでしょうか。
答えていう。
心は無声無臭ですから見難きものです。
志ありという人も、
しかしながら、親兄弟妻子を故郷におく人は、一旦他の国に遊んだとしても、終には故郷へと帰るもので、隠微のところが悪道に興味なく、善に実なる所があるならば、それは道に志ありというもので、一旦
形気の衰えるに従って、道よりほかに行く所は無くなるのです。
それは志の不実というものではありません。
実はあるのですが、明をしばし蔽ってしまう所があるだけなのです。
ただいま飲食男女の欲がうすく普段の行いが善い者でも、心志の定まる所のない人は、親兄弟妻子の集まりたる故郷のない、一人身で守るべき者の居ないようなものです。
そうであったらゆくゆくどこの国にとどまればよいのでしょう。
分からないものです。
今日のよきは、精力が強くて慎むのが苦にならないだけなのか、
もしくは生まれながらにして形気の欲の少ない者も、同じようにみえるものです。
形気が衰えゆくに従って、その本質があらわれますから、一旦のよきは頼みになりません。
月夜がしばし曇っているだけなのか、闇夜が晴れているだけなのか。
月夜に雲のかかるはたのむに足りますが、雲がないとしても闇夜ではたのむに足りません。
志の大なるか、大ならざるか。
欲に蔽われるは人情。
本ある人の必ず故郷へと帰するが如く、其の大なる志に帰すべし。
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