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日本の偉人・書籍にある名言

熊沢蕃山

明心の霊をふさぐこと、品ことなりといえども、その蔽うところは一なり。
世俗は物欲のちりを以てふさぎ、学者は見識を以てふさぐ。

出典・参考・引用
熊沢蕃山「集義和書」巻第二
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熊沢蕃山
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集義和書

明心めいしんの霊をふさぐこと、しなことなりといえども、そのおはふところは一なり。
世俗は物欲のちりを以てふさぎ、学者は見識を以てふさぐものなり。
其のけん至所ししょに近きが如くなるも、其の伝来のよる所、天に出でざるは、終に正道をなす事なし。
道の行はれざる事かなしむべし。

手紙にいう。
このほど、面白い昔物語をみました。
明慧みょうえ解脱げだつが歩いていると、道にたくさんの金銀が落ちていまして、解脱がこれをみて「大蛇あり」と避け、しばらくして「先の物は他人が見つけたら悦んで取るだろう」と言うと、明慧は「重いのにここまで運ぶのか」と答えた、というものです。
解脱の心は金銀に命をとられる者は数知れず、誠に大蛇であるという意味であり、明慧は金銀も石もかはらも同じく見なしています。
誠にはるかに高い心地であって、聖賢の心位というべきでしょう。
答えていう。
柳はみどり花はくれないと、それぞれに物の軽重は軽重にして置いて、自分はあずからぬのがよいのです。
自分は金銀をいらぬとしても、世間では宝とされ人を養うものですから、これを落とした人によっては、身をやぶり命をうしなうに至ってしまうかもしれません。
ですから私たちが見つけたのは幸いだと、拾って近くの町の信頼できる者に預けて、落とし主にかえす算段をすることこそ、天性の仁愛というべきです。
この天性明瞭なる心をふさぐことは、それぞれであり方が異なるとしても、その蔽うところは一つです。
世俗は物欲のちりでふさぎ、学者は見識でふさいでしまいます。
この物語は一見して聖賢の心位に近くみえますが、その伝えるところは天に至りませんから、どうしても正道をなす事はありません。
道の行われない事の、なんとかなしいことでしょうか。

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