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中国の偉人・書籍にある名言

臨済義玄

随処に主となれば、立処皆な真なり。

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鎭州臨濟慧照禪師語録

師、衆に示して云ふ、
道流。
仏法は功を用ふる処無し。
ただ是れ平常無事なり。
屙屎送尿著衣喫飯あしそうにょうちゃくえきっぱん、困し来たれば即ち臥す。
愚人は我を笑ふ、智は乃ちこれを知る。
古人に云ふ、
外に向ひて工夫を作す、総に是れ痴頑の漢。
汝ぢ且だ随処に主と作れば、立処皆な真なり。
境の来るとも回換するを得ず。
たとひ従来の習気、五無間業あるも、自づから解脱の大海と為る。

臨済禅師が衆に示して云う。
道流。
仏法は功を用いる処無し。
ただ平常無事なるもの、日常の中で便をし尿をし寒くなれば衣を着て腹が減れば飯を食い、くたびれたならば寝るという、自然なるがままの姿をいう。
愚人はこれを笑うであろうが、智なればその真を知る。
古人に云う。
仏法を外に求めて工夫をなす、これ痴者頑迷なる者なりと。
ただ随処に主となりて己を尽す、されば己と境遇は一となりて己のあるがままが真となるのである。
決して境遇に惑わされることはなく、前面に存する六境に転ぜられることはない。
真を得てその本分を自得せば、たとえ前生の罪業、五無間業に在りとも、自ずから解脱の大海となろう。

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