中国の偉人・書籍にある名言
臨済義玄
いまの学者の得ざる病いずれの処にか在る。
病は自信あらざるの処に在り。
学人の信に及ばず、すなわち外に向かひて馳求す。
たとひ求め得るも、皆な是れ文字の勝相なり。
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鎭州臨濟慧照禪師語録
病は自信あらざるの処に在り。
汝ぢ若し自信に及ばざれば、即ち便忙々地にして、一切境に
汝ぢ若し能く念々
汝ぢ祖仏を識ることを得んと欲すや、ただ汝ぢが面前聴法底是れなり。
学人の信に及ばず、便ち外に向ひて馳求す。
終に他の活祖意を得ず、
今の学びし者が真に悟るに至らぬは何故であろうか。
それは己への信が無き故である。
自らを信ずることが出来ねばいたずらに心は外物に追われ、一切の境に転じて他の万境に惑わされて真の自由というものはない。
もしも求め馳せる心を除きて己の素のままの心へと反るのならば、己の心はそのまま祖仏の心と同じことなのである。
皆は祖仏を識ることを得んと欲するが、こうして説法を聴く各々自身に自然と備わりしものなのである。
今の学ばんとする者のあり方といえば、信に及ばずして外にばかり心を馳せて求めんとしている。
それでは求め得たが如きにみえてもただの文字の勝相であって、決して活きた祖意を得ることはないのである。
錯まることなかれ。
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