思索
享と孝、悠久の歴史に在る者
爾雅の釋詁に「享は孝なり」とある。
享は先祖をまつり、もてなし、やしなう、それを以て「孝なり」という。
現代では、孝行を「親の為に何かする」といった表面的な意味にとられることが多いが、本質はそこではない。
孝とは「継ぐ」ということであって、それは孔子の所謂「温故知新」なのである。
先人が継いできたものを、自分もまた受け継ぎ、そして次代へと渡す、これを孝という。
それは古臭いものを後生大事に継いでいくことではない。
張横渠が「往聖のために絶学を継ぐ」と述べているように、絶対的なところを継ぐのである。
そして、それを自分の中に抱懐して自分なりのものとして得る。
そこで得たものは古いのに何故か新しい。
それは決して色あせることのない、悠久の中に身を寄せるからであろう。
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