思索
治国平天下
治国平天下の根本は徳行政治である。
徳というと大それたことのようにおもえるけれども、換言すれば良心の発露である。
良心は誰にでも備わる。
悪行を為す人であっても、これだけは守りたい、これだけは尊く存したいと思う部分があるはずである。
それは家族かもしれぬし、世話になった人かもしれぬし、金かもしれぬし、妙に気になる物かもしれぬ。
人それぞれで信じる部分も深さも全然異なるけれども、大小善悪はあれ、必ず誰にでもあるのである。
良心の発露であるのに、大小善悪があるというとおかしなことだと思うかもしれない。
当然おかしなことなのだ。
良心のはずなのに、もしかしたら悪であるかもしれぬ、非なることであるかもしれぬ。
それは本当に悪であるのに、それを本人が自覚をしないだけなのかもしれないし、本当は善なのに世の人々が理解しきれぬことなのかもしれぬ。
その是非は決してわかりはしない。
人それぞれである。
それぞれであるからこそ、共感しながら本当の良心に反ってゆくのである。
徳とするところを同じうするようになってゆくのである。
同じうするとは、妥協することではない。
互いの魂がぶつかりあって共鳴しあうことである。
感じて通ずるが故に和するのである。
個々の人同士の交わりであれば、個々の信念を以て感じるのである。
これが政治となれば、上に立ちたる者の信念が全国民に波及するのである。
よくわからんが何か善い、と思わせるのである。
私心に由らずして真心に反って、全ての幣を取り去った上での良心の発露であれば、どこか必ず感じ入る部分がある。
それは個人であっても、家族であっても、一国であっても、天下であっても変わらない。
理屈などなく、意味もわからず、だけど感じ入る部分がある。
私利私欲のない姿は美しいのだ。
あまりの美しさに、人々は最初は躊躇するかもしれない。
でも、それを発し続けると、不思議と心地よさを得るのである。
君子豹変し小人面を革む、この言葉は真である。
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