思索
門出
人が何か信ずべきもの、成し遂げるべきものをやるとき、己をなくして、犠牲にして歩むときがある。
私なき姿で、一心に歩む。
その姿は美しい。
そして、そのような友の姿を見出したとき、同じく志あった者は、その友のために、己の命をもかえりみないことがある。
だまって自分の命すら差し出す。
そして、差し出された者は、それを黙って受け取る。
さも、二人の間にとって当たり前のことであったかのように。
二人はそのとき、本当に合すのだ。
共に歩んできた二人の信念が、一つになり、更なる高みに昇るのだ。
大塩平八郎は義憤によって立ち上がることを決意した。
そして、友は、その行動を非とした。
どちらも己の心の義が欲した。
もっとも根底にある心の義は二人とも同じだ。
だが、その義を実行する道が違った。
二人は違った。
違ったが故に、大塩は斬らざる負えなくなった。
本当に志が同じであるが故に、斬らねばならぬのだ。
それは友もわかっていた。
自分が異なる意志を表明したことで、こうなることはわかっていた。
死へと向かうことも、友を苦しめることも。
だが、己の真の心から発する義を無視するわけにはいかなかった。
義を発したうえでなら、友の義をたてるのも是であった。
その根源によこたわる姿は、同じ姿を描いているのだから、ただ、黙って友の門出を祝うために命を差し出すのだ。
自分の志と共に、さも当然であるかのように。
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