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思索

我執を離れる

我執を離れるというのは自分に捉われないということではない。
自分に対しての自分であるなら大いに捉われるべきである。
離れるべきなのは人に対しての自分だけである。
自分に対して自分を尽くし、自分のありのままを体現すれば、それは我執とはならない。
すべてと一となる。
人は自己を学んで一となる。
離れ離れになっている自己を一つに結ぶ。
それは自分だけにしかできない、絶えざる反本復始なのである。

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