思索
我執を離れる
我執を離れるというのは自分に捉われないということではない。
自分に対しての自分であるなら大いに捉われるべきである。
離れるべきなのは人に対しての自分だけである。
自分に対して自分を尽くし、自分のありのままを体現すれば、それは我執とはならない。
すべてと一となる。
人は自己を学んで一となる。
離れ離れになっている自己を一つに結ぶ。
それは自分だけにしかできない、絶えざる反本復始なのである。
- 関連タグ
- 思索
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |
関連リンク
- 反本復始
- 繰り返し本質を問いかけてその本来の姿を明らかにすること。覆われて…