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思索

人の成長

日記というものは面白い。
過去の自分の考え方、拙さが良く分かる。
読み返してみると書き方が幼すぎて恥ずかしい部分もちらほら・・・。
自分が一年前になにを想って何に悩んでいたのか、当時のブログから引用してみる。
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2006-03-28-Tue
3/26(日)に同窓会があった。
小学校の同窓会だったんだが、顔を見ると面影があって懐かしい。
はしゃぐことができた飲みは久々で、かなり気持ちが良かった。
みんなそれぞれの道を歩む。
あの頃の喜怒哀楽を素直に表現していた頃が懐かしく、
思うままに生きていた事がうらやましい。
何時の頃からか自分を表現することが下手になった。
新しい道に歩み始めた者、選んだ道を一生懸命歩んでる者。
自分は何をしたいんだろう。
雨で濡れた夜道を歩いていてふと考えてしまった。
充実した人生ってなんだろうね。
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2006-05-05-Fri
ほんの数日
たった数週間
普通に過ごしてた奴が逝く
何を想ってどこに逝くのだろう
何の為に生きるのだろう
僕らの生が魂の昇華なら
早く逝った生命は
その時代の成長を終えたということだろうか
成長を終えて
新たな次元へ旅立ったのだろうか
僕はまだ何もみつからない
惰性で生きる日々はなにをもたらすのだろうか
その日々を耐えることが
次代への扉を開く光となりうるのだろうか
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2006-05-07-Sun
夢ってなんだ?
人が情熱を燃やすとき
その原点ってなんだろう
ただ生きるために生きてる奴が
なにかに向かうことってあるのだろうか
やりたいことってどうやって見つけるんだろう
日々の生活のなかに埋もれてて
本当はそれに気づいているのに
はじめの一歩を踏み出せないだけなのだろうか
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当時の僕が悩んでいたことは、「だらだらと自分は生きているがそんなことでいいのか」の一点に尽きるのだと思う。
夢もないし、やりたい事もない。
ただ、日々飯食って仕事して遊んで寝るだけ。
一時的に楽しくても何かが違う、そんな感覚が常にあった。
それが大きく変わったのだけれども、そのあたりは前項の後半に書いた通りである。
ちょっとしたきっかけと出会い。
あとは自分の感性が導くままに適けばいい。
ほんの一年前の自分が、今の自分では絶対に考えられないことで悩んでいる。
でも、その悩みを持った自分が、今の自分に成長させたことは確かだ。
悩むという心、それは現状に満足していない心である。
自分の現状を省みれなければ悩むわけがない。
悩みの心は自らの進化・成長を望む心なのだ。
それは自分で自分の内に問い続けるしかない。
大いに悩み、大いに考え抜くことでいつか到るところがある。
あとはその到ったところから踏み外さずに、更に一段階昇っていけばいい。
悩みは無駄ではない。
悩み続ければ、少しのきっかけで大きな飛躍を遂げる力となる。
人の成長はどこにあるかわからないものなのだ。

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