思索
宗教とは
宗教の眼目は自己の成長にある。
何かに救いを求めるのは宗教じゃないし、人を救うというのも宗教じゃない。
自分で自分に反る、これを宗教といい、学問という。
一心に阿弥陀仏を唱えれば救われるという。
これも全て自分に帰している。
唱えるのは自分だ。
自分で自分を救おうとするのだ。
仏が救うんじゃない、自分が自分を救うのだ。
そしてそれは一心に唱えることを必要とする。
一心に唱えるとは、ただ唱え続けることではない。
ただ、自分の心に帰して他の邪念なく唱え続けるのだ。
悪行をしても唱えれば救われる。
それはなぜかといえば、一心になれば悪行を為した悪心は存在しないからだ。
悪行の過去がなくなるわけではない。
人間として自らの素の心に徹すれば、その悪行を為した過去の自分を見つめることができる。
その過去の自分を受けとめることができる。
さすればその人間は悪行から救われる。
やったことは無くなることはない。
だから自分の心に問うのだ。
己は何をなすべきか、と。
これより吾は如何に生きるべきか、と。
本然の心に自ら問えば、自ずと自らのやるべき道はみえてくる。
宗教とは自己をみつめる人々の為した教えである。
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