思索
惑わざる人
人は金や権力を求める。
しかし、それで得られた金や力というものは、既に自分の分を過ぎている。
つまり、自分が主体となるのではなくて、財や権力が主体となっている。
そうなると自己の忘却である。
自分を失ってそんなものを得ても何にもならない。
確かに英雄は時に偉業を達する。
それは、やはり、そういった欲が通常の何倍もの功力を発揮するのであろう。
たが、結局は、偉業が成ったのちに自らが溺れるのである。
それは、権力や金にすがりつく自分を自覚できないからなのだ。
素のままの自分に自信がないから外物に心を奪われて、外物を得ることでいかにも自分が偉くなったかのような感に達する。
世間一般の多くの人間がそうであるから、世ではまるですごいことであるかのように思われ勝ちだが、真実にみればあまりにもくだらないのだ。
真に己を自覚し、己によって動く人間にとっては何ら望むものではない。
本当に己自身を任じている人間は、金や権力、その他もろもろの外物などは望まない。
時に自然と転がり込んでくることはあるが、それならそれで、自らの思うがままに操ってみせる。
時を得ずして転り込んで来ぬのならば、それならそれで、自ら悠々自適を得るのである。
故に君子は素行自得すと言うのである。
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