思索
真の和
感じるとは魂の共鳴である。
これを和という。
そこには必ず、各々の信念の発露があり、互いに大いなる衝突を繰り返す。
これは単なる反発ではない。
この互いの信念のぶつがりが極まったときに、遂に合して一となる。
これを和という。
単に相手の出方を伺い、他に安易に妥協して事なかれ主義的であったり、又は、我関せずといった心持ちで相対することとは大きく異なる。
岡本太郎は云う。
みんな相手の様子を見て、お互いに六分ぐらいのところで頭を下げあって馴れ合うのが調和だと思っている。
そんな調和は卑しい。
徹底的に闘って、その結果、互いを認め合ったところに成り立つ均衡なら許せるけど、いま普通に考えられている調和なんて、ぼくは大反対だ、と。
自己の存在しない和などは害悪でしかない。
互尊独尊の存在しない和などは、本当は和と最もかけ離れたものなのである。
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