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思索

発する言葉

僕は語る言葉を知らない。
僕が発するとき、それは語るためではない。
心がそうであると欲したときに自然と湧き出ているものだけである。
なにか人が行動したとき、その行動が感動するに値したか、もしくはその逆で、僕の信条に一致しなかったとき、僕の心は自分のうちにある思いを吐露するだろう。
なにか人が発したとき、その言葉に心を奮わされたか、もしくはその逆で、僕の信条に暗い影をよぎらせたとき、僕の心はその信念、思想を発するだろう。
そこに語るための言葉なんてないのだ。
心の欲する意志、魂の叫び、ただそれだけである。

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