思索
慕うということ
慕うというのはいい言葉だ。
ただ好きなのとは違う。
その対象を敬し、尊び、そして習うのだ。
好きだと語る者は相手に求める。
慕っていると自覚する者は己自身に求める。
たまに言葉に表した方がいいとか言うけれども、言葉に表されて相手の気持ちをわかったような気でいるような人間は、所詮表面的な部分にとどまるだけである。
相手と己と一つに合するところまで至ることは在り得ない。
軽々しく言葉に発しないのは日本人の美徳であった。
なぜならその気持ちは言葉によって表すことなどできないし、その一端でも見せんとしても、言葉に発した時点で余りに心との乖離が激しくなって陳腐なものとなるからである。
本当に真剣であれば、その陳腐さに耐えられるわけがないのだから。
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