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思索

人生における楽しみ

人生において楽しみとは何だろうか。
よく夢だとか目標だとかいうけれども、本当に目指すべきを知っている者はどれほどいるだろうか。
僕は長い間、具体的な目標も夢もなくてダラダラと暮らしていた。
それがある時にふと気が付いた。
「ああ、こういうものなのか」と。
僕のきっかけはひとつの本だった。
それまでモヤモヤしていた自分の中の考えが、そこには存在していた。
当然、自分の考えが本と完全に同じというわけではない。
だが、根本的・本質的な部分は同じだと感じた。
それまでは自分の周りにただ積み重ねていただけなのに、それで自分が大きくなっていると勘違いしていた。
それが、その本に出会って感じてからは自分が内側から広がる感覚を得ることができた。
人生においての最高の楽しみは自らの成長である。
自分が内側から広がる感覚を得たとき、それが実感できる。
僕はそれを知っている。
ただ、惜しむらくは楽しみを知っていることがそのまま自らの成長とはなり得ない。
多分、僕以上の人生の楽しみを知っている人はそうはいない。
でも僕が他の人から見て素晴らしい人間なのかと言われれば、いまはまだ、そんなことはない。
別にそんな楽しみを知らなくても、大変な苦労や人との関わりを通して大きく成長している人は当然いる。
知らぬ間に成長していける人は素晴らしい、でもこの楽しみを知らないのはなんてもったいないことだろうか。
世の中に存在する、一般的な享楽は一時的に強烈な楽しみを与えてくれる。
でもそれは充実を得られるような楽しみではない。
ただ脳に楽しみを感じさせるだけである。
生きていて楽しいなと思わせるようなものではない。
修養に目覚めるのは簡単だけど、成すのは非常に難しい。
なかなか思い通りにはいかない。
だけどそこになんともいえぬ面白さがある。
永遠の課題として、永遠の目標として死ぬまで追い続けられる最高の楽しみなのである。

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