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思索

抽象的なもの

抽象論だとか言って取るにたらないことだとする人がいる。
だが、その抽象的だとするものをそのまま抽象的で済ますのも、それを自分の内で具体的に形づくるのも、それは自分次第なのである。
抽象的であるのは、自分に具体的にするだけの思考がないからなのだ。
自分の内なる尋思があらゆるものを具体的に形づくることができる。
だから、抽象的なものを具体的にするのは自分自身なのだ。
具体的になっているものは既に形として存在してしまっている。
そんなものは自分自身のものではない。
本当に自らのものであるという存在を見出さなくてはいけない。

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