補記
死して亡びざる者
死して朽ちず、これは有に捉われずして無の境地を得てはじめてわかる。
人のこの世にあるは有である。
されども、人は同時に無を存する。
形骸だけの者などは人ではない。
真の人なれば、たとえ世に名が伝わらずともその人間が触れた近しい人々には少なからず影響を及ぼし続けるものである。
祖先を敬い、古人を讃えるはその受け継がれし精神に感謝するのである。
今、老子の体は何千年も前に朽ちている。
されども、こうして老子の思想を受け継いで、そこに今に通じる真理を得ることができる。
人が自己を探究して、その精神の偉大さに感銘すれば、今も昔も真実の道に何の違いも存しない。
魂の篭る言葉、事蹟であれば、時を超えて人々を突き動かすのだ。
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