補記
天下は神器なり
何かをしてからやろう、というようではいけない。
それでは作為的なのである。
作為によれば必ず作用が生ずる。
行従、温冷、強弱、載堕のように必ず反対の作用が生じて失うことになる。
何事であれ、自然の流れのままに己を尽せばよいのだ。
時宜を失ってやるのは当然いけない。
時宜など関係なくして、単にこれをやり終えたら次はこれをやるというのでは、一時は成ったとしても安んずるには至らないであろう。
決めてやるのは限定的である。
限定は理解しやすく運びやすくはあるが、それはそこにとどまるだけなのである。
よく小さな目標を積み重ねてゆくのが善いという。
大きな目標を掲げ、その前にいくつかの小さい目標を立てて段々に進めという。
これはとても分かり易く、一時の達成感は得られる。
だが、これを真として実践するような者は、決して真の道を歩み、真実を感じることは叶わないであろう。
真実を目指す者であれば、そんな目先の達成に何かを感じるなどはあり得ないのだ。
何かを達成したからといって満足する部分など微塵も存在しないのだ。
目標というものは、所詮は限定なのである。
真実の道を歩むのならば、大いなる理想に向って、偉大なる志に向って、ひたすらに己を尽すだけなのだ。
己を尽せば必ず至るところがある。
この至るところは決して具体的に目標とできるものでも、表現しきれるものでもない。
これが人生の妙趣であり、なんとも言えぬ面白さなのである。
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