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補記

父母の役割と尽力すべきところ

父母の役割は父が敬、母が愛。
母の愛は慈悲の至極、その功大にして敬すらもかすむ。
然りと雖も、人物をつくる所以にはあらず。
人を保つは愛、人を育つは敬。
子の父母を愛するは自然の道理、故にその愛同じ。
然れども、父への敬と母への敬は同じからず。
母は子女の敬すべき所、そして子息のおもうべき所。
父は子息の敬すべき所、そして子女のおもうべき所。
発するところ同じと雖も、おもうべき所は同じからず。
子息の成人して君につかえる、その父を敬すを以て君を敬す、これを敬慕し尽くさんと欲するは己を修める所以である。
故に詩に曰く、
つとに興きよわぬ、と。
これその身を修むることに尽力することをいう。
自然にして道を得たるは聖人なれども、多くは喜怒哀楽の情に流されてその身を失う。
故に志ある者はこれを制し、これを整えてその身を立つ。
生を得て学ばざるは自ら棄てるに同じ。
先祖の道に背きて恥生ず、これ、志ある者の最も忌むべきところである。
“所生”は一に父母、先祖をいい、その根底に天地万物ありとあらゆるものを指し示す。
故に熊澤番山曰く、
己の生ずる所なり、父母、先祖、天地、大虚なり、と。
大虚は天地万物の現象のようなものではなく、形有らずして有るところのものである。
周濂渓のいう所の無極にして太極、老子のいう所の無や玄に近い。

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