補記
政治を司る者の恥ずべきこと
曰く、
偉大さとは方向を指し示すことである、と。
ここでの“言”とは方向を示すようなものであろうか。
その国を如何なる理想に向けて治めていくか、これを官吏・人民に示すは為政者の責務である。
長として統べるべき立場に在るならば、自らの志によりて進むべき方向を指し示さねばならない。
志無くしてその位に居るは、君子これを恥ず。
そして理想ばかりで実際が伴わねば、当然これも恥じ入らざるを得ない。
次の“既に之れを得て又た之れを失ふ”は解し難い。
一つは位を失うこと。
位を得たるに徳足らずして失えば、当然恥じるべきことである。
しかし、それだけでは足らない気もする。
然るべき位に有り、進むべき方向を指し示し、実際にそのように治めてみせた。
されど、一旦は治めるを得たれども自然ならずして得失を生じた、さすれば自らの足らざるを恥じる、と解す方が妥当であろうか。
得るも失うも人為が伴う。
真の人物ならば自然にして国を治め、民を安んずる。
人々はその所以すらも察し得ない。
故に兼好法師曰く、
賢愚得失の境に居らざればなり、と。
失有るはもとより、事功有りともそれが衆目に明らかなれば、君子これを恥ず。
国土余り有りて、民少なきは、為政者たる己の徳の足らざるを想う。
一に民が四散す、二に民至らず。
故にこれを恥ず。
これに背くは天の道に非ず。
材を
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