このエントリーをはてなブックマークに追加

補記

自ずから畏るべきの威有り

古よりこの言あり。
易者は占わず、と。
人相、手相、数多く存する諸相は皆な自らの陶冶によって万変し、遂には一に帰す。
故に、占う必要がないのである。
だからリンカーンはこのように言っている。
年の四十にもなれば己の顔には自ずから責任がある、と。
顔立ちは生まれつきなれども、顔つきは己による。
そして、これはその人の風格、容態にも言えることである。
本当の人物であれば、自然と溢れ出るものが存在する。
厳にして愛せられ、寛にして畏れらる、これ人の至れる姿にして人の上に立つ者の存すべきところである。
故に注釈に朱子曰く、
諸中に有る者は、必ず諸外に形はる。
人君の徳有れば、則ち必ず人君の容有り、人君の容有らば、則ち必ず威をさずして、自ずから畏るべきの威有り、と。
君子重からずんば威あらず。
深沈厚重にして凡人に計り難きは、人物足るの一様相なるを想うべし。

この記事は「classic_oriental_263.html」に対して書かれました。
詳細は下段「本文へ」からどうぞ。

関連タグ
補記
孟子
<<  前のページ  |   本文へ   |  次のページ  >>

関連リンク

易は「かわる」という文字。また、易の字は三つの意味を持つとされ「…
朱子
朱熹しゅきの尊称。1130年-1200年。朱熹は中国の宋代の儒学者で朱子…
徳は原字の直+心に行動を表す「彳」と書かれる。字から読み取ると、…
君子
君子とは小人の対義語としては、私心がなく公である人物のことをいう…
深沈厚重
※※「よみかたまちがい」により「し」の項に移動しました※※※※移動先は…


Page Top