補記
自ずから畏るべきの威有り
古よりこの言あり。
易者は占わず、と。
人相、手相、数多く存する諸相は皆な自らの陶冶によって万変し、遂には一に帰す。
故に、占う必要がないのである。
だからリンカーンはこのように言っている。
年の四十にもなれば己の顔には自ずから責任がある、と。
顔立ちは生まれつきなれども、顔つきは己による。
そして、これはその人の風格、容態にも言えることである。
本当の人物であれば、自然と溢れ出るものが存在する。
厳にして愛せられ、寛にして畏れらる、これ人の至れる姿にして人の上に立つ者の存すべきところである。
故に注釈に朱子曰く、
諸中に有る者は、必ず諸外に形はる。
人君の徳有れば、則ち必ず人君の容有り、人君の容有らば、則ち必ず威を
君子重からずんば威あらず。
深沈厚重にして凡人に計り難きは、人物足るの一様相なるを想うべし。
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