補記
道無くば礼を満たすを恥ず
礼を満たすを恥じる所以は何ぞや。
曰く、
国に道有りて貧しきは恥なり。
国に道無くて富みたるは恥なり、と。
礼もまた同じ。
国に道無くば、礼の礼とする所以の方を失う。
礼の本質を人々が知らざれば、礼は形式だけのものとなってしまい、その意義を失う。
故に最も重要で最低限の部分のみは行うも、ほかは省くのである。
本質において、礼は節である、節操である。
礼によりて人はその分限を弁える。
現世においては、その地位で為すべき礼が異なる。
その所以は各々に各々の分限を示し、弁えさせんが為である。
然るに国に道無くして奢侈なれば、人々は己の分限を忘れてあらゆる事物に妄りとなる。
故に本来は守るべき礼を倹約して人々に示すのである。
国に道無くして倹約なれば、人々は守るべき礼すらも守らなくなる。
故に如何に倹約を尊ぶとも守るべきところは守ることを人々に示すのである。
形式的な礼も重要ではある。
だが、過分に過ぎるときは、節して覚らせることが本当の礼というべきなのである。
本質を持して事を為せば、それが礼である。
形式だけを頑なに守るは、形に惑いて真を失っているというべきであろう。
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