補記
豫の字と誠
「豫」は多く「あらかじめ」の意にとる。
ただ、全ては「誠」の一字に帰することを説く中で、「あらかじめ」という意には解しがたい。
智者は未萌を慮る、されどもこれは誠なる所以ではない。
豫の字には「のどやか」「たのしむ」「よろこぶ」の意がある。
また、古訓には「こころよし」と読む。
誠なる姿は快い、これは真実である。
そして真実の中には必ず喜びがあり、自ずから楽しみに満ちる、これもまた真実である。
これ誠の一様相であろう。
豫の字は、本来は「ゆるやか」「やすんずる」という意味を含むわけで余裕のある姿を示すことに注意したい。
※ただし、最も妥当なのは「定まる」と解すことである。
また、「前」の意は多くは「まえ」と採るが、ここでは「すすむ」と採る。
その為すところ定まるは「誠」なれども、前に定めるは「誠」ではない。
“妄語せざるより始む”は誠へと至るの道ではあるが、誠ではないのと同じである。
定めずして定まるは「誠」である(自然に定まるが故に)。
定めんとして定まるは「智」である(ただし、智による定は誠による定と同一ではない)。
“誠は為す無し”の言を忘れてはならない。
誠は智を超越するのである。
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