補記
新たなる生命の発現
本当の歴史というものは決して批判的行き方では触れることはできない。
断罪されるに値するのは、本物ではない、ただの見せかけだけの歴史のみである。
そして、ニーチェがここでいう歴史とはそういう歴史のことに過ぎない。
だが、本物の、本当に生を活かした歴史はそのあるがままで生きるのである。
その歴史が人を活かし、そして現代に生きる我々が本物であるならば、その歴史からまた新たなる生命を発現させる。
発現させる、という言葉も本当は適切ではない。
発現させるというよりも、その歴史と共にあってその生が新たな次元を生きるのである。
ニーチェは裁判するのは正義でも慈悲でもなく、ただひとり「生」であるという。
さればこそ、その「生」が本物であるならば、たとえ過去であれ、未来に生ずる偉大なるものに対してであれ、本当の共鳴をみせるに違いない。
故に孔子は「
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