このエントリーをはてなブックマークに追加

補記

新たなる生命の発現

本当の歴史というものは決して批判的行き方では触れることはできない。
断罪されるに値するのは、本物ではない、ただの見せかけだけの歴史のみである。
そして、ニーチェがここでいう歴史とはそういう歴史のことに過ぎない。
だが、本物の、本当に生を活かした歴史はそのあるがままで生きるのである。
その歴史が人を活かし、そして現代に生きる我々が本物であるならば、その歴史からまた新たなる生命を発現させる。
発現させる、という言葉も本当は適切ではない。
発現させるというよりも、その歴史と共にあってその生が新たな次元を生きるのである。
ニーチェは裁判するのは正義でも慈悲でもなく、ただひとり「生」であるという。
さればこそ、その「生」が本物であるならば、たとえ過去であれ、未来に生ずる偉大なるものに対してであれ、本当の共鳴をみせるに違いない。
故に孔子は「ふるきをたづねて新しきを知る、以て師たるべし」と云い、大学には「日に新たなり、日々に新たなり、又た日に新たなり」というのである。

この記事は「zayuu_hoka_335.html」に対して書かれました。
詳細は下段「本文へ」からどうぞ。

関連タグ
ニーチェ
<<  前のページ  |   本文へ   |  次のページ  >>

関連リンク

孔子
中国の春秋時代の思想家。紀元前551-479年。それまでの原始儒教を体…
温故知新
様々な出来事とそれに対する人々の言行から、その根底に流れる真理を…
大学
四書五経のひとつ。もとは礼記の一篇であるが、北宋の司馬光によって…


Page Top