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補記

無中に有を生ずる工夫

一以てこれを貫く。
論語の言葉であるが、これに通ずるものであろう。
曾子はこれを聞いて「忠恕のみ」と述べた。
孔子が志した道はただそれだけなのである。
「忠恕」を以てすべてに処す、これが至れば遂には諸事万端がここに在る。
王陽明は初学において外好を去れという。
別に学が進めば外好を去らずとて善いというわけではない。
本当に外好を去りて立志せば、これが至ったときに心は外好に無いのである。
あらゆる事物が己と共にあるが故に、外好に心が奪われるということはありえないのである。
だから何かを去るとか去らぬとかいうことも無い。
問題は初学においては根幹が無いことである。
本当に自分のものと呼べる存在が、自分の中に得られていないのである。
有るようでいて無い、そんな不安定な状態であるから余計なものは去る必要がある。
一時の満足で終わらぬためにも、ひたすらに一を目指すのである。
これが至れば、己が心はあらゆる事物と共に在るであろう。
故に「無中に有を生ずる工夫」というのである。

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